創業者 麻生太吉
麻生グループは、1872年(明治5年)、創業者 麻生太吉 が目尾(しゃかのお)御用炭山を採掘し石炭産業に着手したことにその端を発しています。
初期の麻生は、国家の産業基盤づくりを使命に、筑豊の、そして北部九州の発展とともに成長しました。明治・大正・昭和初期と筑豊有数の炭鉱主として、石炭の他に銀行、電力、鉄道、病院、セメント事業など幅広く事業展開してきました。
戦後、石炭からセメント事業に転換した麻生グループは、社会資本の基盤づくりを新たな使命に事業展開し、現代のサービス社会を支える事業にも多角的に参画してきました。
おかげさまで、今ではセメント及び生コン製造販売事業の他、日本でも屈指の規模と質を誇る民間病院(飯塚病院)を核とした健康・医療・福祉関連事業、日本有数の総合専門学校(麻生塾)を中心とする教育人材関連事業、九州最大の規模を持つ人材派遣関連事業、コンピュータ・ソフト開発関連事業、建設・商社関連事業、地域開発関連事業、環境関連事業など幅広い分野で社会に貢献するグループ各社は116社を数えるに至り、筑豊地域の企業グループから福岡県のそして九州を代表する企業グループに成長してきました。